Translate

2025/03/15

愛という魔術



かみさま

わたしは、「愛」いう魔術を修めたいとここまできました。
「愛」というものが、それがどういうものなのか全くわかりませんでしたから。

書物が表現する言葉や劇場がみせてくれるもので、それらしきものなんだろうとは理解していましたが、それが本当はどういう感情なのか全く感じることができませんでした。

「愛」について、それを信じないとかあるとかないとか、そういう問いかけばかりして探していました。だって「愛」はとても気高くて、太古の昔からたくさんの人がそれを崇め、議論し、実際多くの人間がそのために傷ついてあるいは空虚の暗闇へ自らを送り込んだりして、それは魔術のようにとても強い力だったので、信じるか信じないかに値するものだと思っていたので。




でもここへきてわかったんです、「愛」への憧れと畏れは人間が自分自身へかけた魔術であったことを。そしてそれは解くことができると。




愛は、何にでもありませんでした。そして同時に何にでもなるものでした。愛は、誰にでも、「どうぞご自由に」と差し出す何かでした。どのようにでも表現でき、どのようにでもなり、どのようにでもなる材料でありアイデアであり燃料でした。




愛は、ただ「愛」だったんです。
そしてこれからもそれはそのように在ると。