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2026/04/06

アートプログラム活動



2016年より、自分のやってみたいこと、感じていることを思いきり表現できる創造の場をつくりたいという思いのもと都内小学校でアートプログラムを行う活動をスタート。「好奇心いっぱい、色彩溢れる自由な心をときはなそう」を理念として活動名をCurifpa!(キュリフパ)としました。


2016 〜 2026年現在
 都内小学校を中心として活動。
 創造的なアートプログラムを提供しています。

     updateなかなか進まず途中です。どうぞ ❤︎
  →Curifpa! 
   初期の頃。


始まり。


創作活動をしていきたいと模索していた時期、今自分ができる表現方法が今できることなのだから、道がどこにあるかわからないけれど、ここから進んでいこうとアフタースクールでの非常勤勤務から始めた活動。

拡大していく話も出たけれど、当時のわたしは、自分の作品をつくることにシフトしたかった。でもそれには自信がなくて恐れていて、頭の中で考えて行動しても止まってしまうそんな日々で。ふみだし、これがわたしから出てくるもので、これでいいんだとお腹から感じられない、葛藤と過ぎゆく時間。

今は思う、それは現実世界の自意識過剰な「わたし」ドラマを演じていただけ。頭の可哀想な自分を存分に演じやっていた愛しい時間。

ほどなくして、貯金が底をつき、フルタイムの仕事をはじめた。それでもこの活動は途切れることなく、縁が続き形を変えて今も続いている。そんなアートワークショップへの思いを書きます。






基礎的な技術的なことは美術教室で習えばいい。わたしは、ちがうところを伝えたい。身体感覚と素材と遊ぶことを。


参加したこどもたちが、それぞれの、その時の感覚で「こうしたい!」と思ったことを自由に創造し、表現できるワークショップをいつも考えています。

毎回違うテーマで実施するワークショップではいろいろなことが展開されていきます。ある一つの素材に夢中になって延々と実験しているひと。ある形をつくることに没頭してそれにエネルギーささげてるひと。自身のその日の目的に向かって全力しているひと。同じ場の中でみんなそれぞれ自分のしたいことをしています。それが具現化できるようにテーマを決め素材を用意し十分な準備をします。





“ちゃんとした” “上手な” “いい”作品を完成させるために、私は彼らの生き生きしたエネルギーを小さくすることは好きではありません。


お互いがそれぞれやっていることの違いを、ふと垣間みることによって、生みだされる新しいアイデアや、自分の中から湧き上がる気持ちに夢中になって、 素材と関わるうちにどんどん出てくる表現。間違えた、失敗したそんなラベルを一旦おいて、そこから続く線や展開を手に任せてみる、どうしたらいいかわからなくなったら、「手にまかせる」「手が勝手にやってくれるから、ここは勇気がいるかもだけどチャレンジしてみて」そんなふうに声をかける。

こうしたプロセスそのものを経験する場をつくること、それがわたしのワークショップの目的です。

彼らのアイデアや表現が、その生まれたままのエネルギー全開なままで形としてあらわすことができるようにナビゲート・アシストすることがわたしの役割と考えています。






“ちゃんとした” “上手な” “いい”作品を完成させるために、私は彼らの生き生きしたエネルギーを小さくすることは好きではありません。


お互いがそれぞれやっていることの違いを、ふと垣間みることによって、生みだされる新しいアイデアや、自分の中から湧き上がる気持ちに夢中になって、 素材と関わるうちにどんどん出てくる表現。間違えた、失敗したそんなラベルを一旦おいて、そこから続く線や展開を手に任せてみる、どうしたらいいかわからなくなったら、「手にまかせる」「手が勝手にやってくれるから、ここは勇気がいるかもだけどチャレンジしてみて」そんなふうに声をかける。

こうしたプロセスそのものを経験する場をつくること、それがわたしのワークショップの目的です。


彼らのアイデアや表現が、その生まれたままのエネルギー全開なままで形としてあらわすことができるようにナビゲート・アシストすることがわたしの役割と考えています。







「こうしたら、したいことができるかも」「こんなふうにやると、くっつくね」「これをつかってもいいし、つかわなくてもこうもできるよ」さまざまな方法、まだ現れてきていないアイデアを自分で見出せるように話しかけていきます。




「やりたいことできてる?」


ガイドしていくと同時に、こどもたちからもこんなふうにしたらできたよ!これはどう?と教えてもらったり。お互いのやりとりからあらわれてくる創造 それはどこまでも続きます♡


ワークショップの中でこどもたちが、なにかを発見したときの喜び、夢中になっているそのこと、やりたいことができたことに満足している顔、時に静寂に満ち、時にカオスな、そんな 生き生きしたエネルギーがわたしはとても大好きです。それがワークショップをより開放的で自由な創造の場へと向かわせてくれている、そうわたしは感じています。




人間。


実際おとなもこどもも関係ない。人間。
子どもだって思考に覆われている人もいる。大人でもとらわれていない創造のエネルギーが開かれている人がいる。

人間の可能性、その実現をいつもみていたいって思うから、続けている。

わたしにとってこの活動は、人の可能性をいつも夢みられて、そしてその夢にいられる時間、形ある世界と形のない世界をつないでいる感触を実感するための一つの方法です。



Rei


































声をひそめて。

 


泣くことでしか昇華されない何かがお腹の中に現れることがある。

何かが起きたわけではなくて

何かが影を心に落としているわけでもない。

むしろ確認できる意識の上では

事は気持ちよく流れ

どうこう自分ではわからないことは天に任せ

楽しく日常をすごしている感じがある。



どうしてだろう

なにがそんな気持ちにさせるのか

知りたいと思って

でも時に乗せられ

とりあえず

毎日を楽しく生きている自分は見つめている


楽しいんだけど。

お腹の中で感じるそれは何かを求めている。




出来事というような特別な何かを必要としないそれを感じる事が身体から遠ざかっていた時

お腹の中に生まれてくる。

目にしたはずの 感じたはずの

日常の断片が

忘れられた断片が

お腹の中に現れてくる。

感じる時

何かが終わる

感じる時

お腹の中の何かとつながって

その時が一つになる。

断ち切られたままの何かが

再びつながれるように

光や風や土の匂いを拾っていこう。




















2026/04/05

永遠の無

 




桜を枝から離し、お花として眺めてみた

赤ちゃんみたいに繊細で小さな雄しべが鳴り響く星々の一群


ひとときの時間で終わってしまうのに、やってくるのは永遠からの幸福


なにもないところからくる、あの無の感覚


こんな世界を毎年見せてくれていたなんて。