10年くらい前に書いていた日記を残していることを思い出して、最近読み返していた。それで気がついたことは、感じたことを言葉にするための時間をつくっていたことだった。自分のために自分のことを知るための時間。それがここ数年で海外ドラマに変わり、インスタグラムで美味しいパン屋さんを探したり、他人がつくった日常をのぞいて見たりと、きっとそしてもちろんそれは、自分の何かのためだったりするんだろうけれど、それはそれで楽しかったけど、昨夏のビーズ刺繍熱に心身突き動かされてただただ完成するまで黙々とビーズを重ね続ける新しい動きに夢中になる時間を過ごし、「ああ、これだった、この感覚。」って大事な忘れ物を取り戻せた感じがした。
何かの役に立つわけでもなく、ただ自分のために自分を知るために時間を存在させる。自分が感じたことをぴったりの言葉で表現できた時の喜びは、自分という生命が日常の背景になってしまいそうな分離感から救済するわたしにとっては大切な鍵なんだって今更ながら、そうかそうかってわかって嬉しかった。
自分のための言葉を、自分のために見つけ続けたい。
誰かはそこにいない。けれど、全てはつながっているこの生命の物語の断片で、同じように自分を大切にしている誰かとつながって、言葉は、その内部で新たな鼓動を始め、この生命の物語の空できらめく星になるんだ。