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2025/03/14

祖母の100年ー愛への信頼

 


午後7時の御通夜。3人の僧侶の声とともに、後方から聞こえる念仏の合唱が会場に響く。念仏は浄土の雲を呼び止めて、「こちらへ」と迎え入れる。Vシネ系の風貌をした僧は、ハードボイルドな扇子の入れ様で鮮やかな紫とゴールドの仕事着で、真っ白なお花の背景を引き立てていた。


次の日の葬式は11時から始まった。止めることのできない、おばあちゃんへの感情の中にいて、何がどう泣けてくるかもわからずにただひたすら心のまにまに死者と声をつなぐ。念仏の始まりのなかで、亡き人の声を声として確認したわたしの頬は決壊し、念仏の中で祖先とつながる想い、つながる命の全うと肯定を、溢れ止みそうもない頬の滴りの中で密に強くさせた。



魂と肉体はいつ離れるの?そんな魔術と愚問を社会一般に投げて精神を解剖することは、全く意味のない問いだったと気づいてわたしは、人の子ではなく宇宙の子なのだと思いたいんだと悟るときの愚かさを超えたまぶしい明るさで、場内を包む祖母の愛。受け継ぐのは、魂の血統や戸籍の因習的呪縛、思考の盲目的継承ではなく、愛だけだという確信。




亡き人は、自己規律と我がまま、そして無限界の他者への愛で、僧侶も泣かし念仏を超える。命の100年という一日ごとを、重さではなくすべては流れていくという軽さで生きていた愛への信頼。




それは、きっと関東大震災でみた火の海も、空襲で屋根にとんだだれかの生首も、品川から千葉まで食料を買い求めに行った闇市も、疎開のために駅へむかいぎゅうぎゅう詰めの列車の中に幼い母をおぶった彼女だけが入れず、学生服を着た青年が彼女を持ち上げ、列車の窓から入れ5人の子どもたちとばらばらにならずに無事疎開できたけれど、あの青年はそのあと大空襲に会わずに避難出来たのだろうかといつも涙ながらに昔話をする、どうしようもない時代の中で体験し続けたその重さを、時間にゆだねる決意をして堂々と生ききったにんげんの強い意志だったともおもう。





15時の火葬場。着火のボタンを押せなくて何度も躊躇していた伯母さんの手を思い出す。生まれたばかりのいとこのあきちゃんが、きゃっきゃと誰の挨拶にも反応するかわいい声と。午後の火葬場では、とても緩やかに永劫が流れていた。