どこまでが生きていることで、どこまでがその終わりなのか。
境界線のありかを探求しようか。
-Lovable Pieces Journey - Many inspired moments with nature and lovable things in my earth life. 光と静寂、そして色彩、すべてが満ちている無の在りか。
お名前を知ったのは、DIR EN GREY のシングル朧のカバーデザインの大変美しい作品で。
とてつもなく惹かれて大好きになってインスタグラムでご活動を追っていました。
どの作品も生命の吐息のようなものが感じられ、引き込まれます。
5月の初め北海道フェア的な品々がお家の食卓を賑わした。近くのお店で毎年行われているという、主催者が大好きなパン屋やチーズ、パスタ、塩などがセレクトされて並ぶイベントに3回ほど通った。足を運ぶ度に、購入してきた美味しいものたちは、すぐにお腹の中に入っていき、跡形もなくなるテーブルに驚く。「第2便が来るらしいから、じゃあ、また行ってみるか?」永遠に続いてもいい、美味しい日々よ。
北海道からやってきたパンとチーズに魅せられて。
ここに今存在している、
名前のつけられた自分という生命。
その生命を愛することができる、
この幸せをいつも感じる。
何が好きで
どんな場所にいると楽しいと感じて。
何が嫌で何が苦痛で
何をしていると窮屈に感じるか。
たくさん経験して
ああそうか
やっぱり好きなんだね。
やっぱり嫌いなんだね。
そうやって
身体を持って
体感しながら
確認しながら
体験しながら
もっとこの生命が輝くように。
気持ちよくのびのびと
その生命を使えるように。
感覚を思考を身体を使う。
その間には待つ時間があったり、
暗闇の時間もあったりするけれど。
最終的には
たどり着くところにたどり着く。
全ては安心の中で起きている。
自我のエゴではわからない領域。
それでいい。
そうだから、生命は愛を求める。
そうだから、生命は愛に帰還できる。
ゆったりと世界を感じよう。
「私」という感覚装置を通して、感じること、感じていることを大切にしたいと小さい頃から思っている。 感じることは、正しさや信念、判断から遠くに位置していて、いつも求めている柔らかな世界にいることから離れない。
感じることに正解はない。
そしてそれを採用する勇気は自然に起きてくる。
どんな役割を日常で担っていても
あなたという存在は一つしかいない。
それがどれほど
すごいことなのか
無数に存在し
消えては現れ
忘れては思い出す
愛の流れ
生命の流れの中で
今のあなたは 今しか存在していない。
そんないとしい
わたし自身を愛する時間
生きている時間
りんごちゃんは一人でいるのが大好きでした。
りんごちゃんは人の中にいるのも大好きでした。
ただりんごちゃんは、ひとりぼっちでした。だれも、彼女の心を覗こうとしませんでしたから。というのも、りんごちゃんは、だれにも心を開けようとしなかったので。
人々は、これ以上は、とか、君のことはわからない、とか美味しくない、とか裏切りだとか
そういうふう形容したので。
りんごちゃんは、大丈夫そうに見えました。強い生命力と意志があるように見えたものですから。
いくつかの収穫の時期を経ていくつかの新しい土を踏み、とうとうりんごちゃんにも天使がやってきました。
「さびしかったんでしょう、ひとりで」
その声はりんごちゃんを真っ赤に真っ赤にしてりんごちゃんは、高い高い木の上から、ホトッと天使の大きな手のひらに、そして包まれました。りんごちゃんは、もうさびしくありませんでした。
ものがたりは、これでおしまいです。
にんげんもさびしくなるときがあります。
そういうときはどうしたらいいでしょう。
高い高い木にのぼってもっとずっと高いところへ行って、天使にでも拾ってもらいましょうか。土の中へ土の温かさの中へ落ちて踏まれて腐って誰かの養分になるのも悪くないですね。
でも、それはほんとに望んでいることでしょうか。
わたしにはわかりません。
わたしにはわかりませんが、ただわたしには、りんごちゃんはだれといてもさびしいときを感じているように思えます。
本当のところはわかりませんが、さびしさは、間の大事な音だとおもいます。
私と貴方の。
貴方と世界の。
貴方と貴方の。
叩いてみませんか、とりあえず、まずはそっと。
「あの、いますか?」
むこうも叩いてくるかもしれません、さびしさの音を。
本当にはわかりません、でもきっと叩いたら、貴方の耳にも音がきこえてくるはず。
「あの、いますよ」って。
LOVE
それは、すべての感情すべての思考がそのままで、そのままの自分で、あっていいことを受け入れている世界。
人間には色々な感情があるし、色々な思考がどこからかやってきては過ぎ去って、またやってきては過ぎ去って繰り返される。嫌な感情や思考の中にいるような時には、ほんとはみんな愛されていて、愛されるのに条件なんてないって思えないかもしれない。LOVEの中にいるということは到底感じられなかもしれない。
でも、少しだけ、ほんの少しだけでも、その思考もその感情もそのままにして、そのままに消さなくていいから、そのままにして、ここにいよう。
何もないところに、優しい風があらわれてくる。
何もないところに、大丈夫だよと囁く声が心に響いてくるよ。
生まれる前そして生まれた後も、みーんなはじめからLOVEの中にいて、大丈夫な世界を持ってここにいるってことを、だんだん感じられて、ああそうだったかもしれない^_^ なんて。
オープンに オープンに 開いていこう♡
忘れたら何度でも戻って来ればいい。
それは消えたりしない。
いつだって自分に優しい世界がここにある。
ここ
それは自分そのもの♡
10年くらい前に書いていた日記を残していることを思い出して、最近読み返していた。それで気がついたことは、感じたことを言葉にするための時間をつくっていたことだった。自分のために自分のことを知るための時間。それがここ数年で海外ドラマに変わり、インスタグラムで美味しいパン屋さんを探したり、他人がつくった日常をのぞいて見たりと、きっとそしてもちろんそれは、自分の何かのためだったりするんだろうけれど、それはそれで楽しかったけど、昨夏のビーズ刺繍熱に心身突き動かされてただただ完成するまで黙々とビーズを重ね続ける新しい動きに夢中になる時間を過ごし、「ああ、これだった、この感覚。」って大事な忘れ物を取り戻せた感じがした。
何かの役に立つわけでもなく、ただ自分のために自分を知るために時間を存在させる。自分が感じたことをぴったりの言葉で表現できた時の喜びは、自分という生命が日常の背景になってしまいそうな分離感から救済するわたしにとっては大切な鍵なんだって今更ながら、そうかそうかってわかって嬉しかった。
自分のための言葉を、自分のために見つけ続けたい。
誰かはそこにいない。けれど、全てはつながっているこの生命の物語の断片で、同じように自分を大切にしている誰かとつながって、言葉は、その内部で新たな鼓動を始め、この生命の物語の空できらめく星になるんだ。