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2025/04/10

きらめく意識 - my perspective -

 



ゆったりと世界を感じよう。


もうすでに愛の中にいて

実は愛こそが私たち自身で

その愛がこの世界を創造する力で

その力から生まれた私たち。

その力が動けるように

思考の道を手放そう。

コントロールできると思い込んでいる思考の道を手放そう。

それこそが幻想。

ただただこの愛の中に流れの中にゆだね

目の前に現れる瞬間の世界を生きる。

その喜び

その不思議

その生命の輝き

それがあなた。

あなたという生命があなたを呼んでいる。








2025/04/07

ネオヒーラーとセルフケアを楽しむ。

 



やってきました♡ネーヒーラーテックさん。

到着してからほぼ毎日使っています。

とにかく気持ちがいい。
身体が喜んでいるのを感じる。

たくさん歩いた後の足のケア。
関節のケア。
頭のマッサージ。

その日気になった箇所に、また使いながら「ここも♡」という感覚がきたら使っています。


身体が毎日、リフレッシュしている感じで気持ちがいい流れを感じる。


痛みがあった箇所の痛みがなくなったり、関節の可動域がスムーズになったりと「効果」はもちろんですが、それ以外のことが色々起きてきて面白い。


なぜか話しかけたくなる感覚が起きてくる。話しかけると私の身体のことを良く理解できるかな、私が感じ取れないことに気がついて教えてくれるかなとか、パーソナルヒーラー。なんだかそんな存在に自然になってきている感があります。なんだろうこの感じ?意識が伝わっている感じがあって不思議。



日々使うのが楽しみで仕方がない♡
最近購入した中での大正解やわ。



十代の時から「身体の不調は、精神の不調からきている」っていう感覚があるんだけど、その意識が前提にあるからなのか、気持ちを整理したり、考えることをやめると身体が回復することをたくさん経験した。その逆も有効で、頭の中がぐるぐるの時は身体に働きかけると気持ちが回復する。ネオヒーラーを使いながら、「ほんと人間という存在は、思考、感情、意識、身体、霊的等々全て繋がっているんだなぁと、使いながらあらめて感じたよ。
















2025/04/06

Plan G





There are something beautiful plans for you.

but you don't know them yet.



but there are.



God's plan

Nature's plan

Universe's plan 

whatever….





There are something beautiful plans for you .

the gifts come from unknown 














2025/03/24

♡美味しいはしあわせぇ♡一口のパンがもたらす無数の創造と体験

 


世界中のどこよりも大好きな場所は、お家です。それが小さなワンルームの頃でも、お部屋数が充実した眺めのいい場所でも、実家のお部屋でも。自分がその時決めて暮らしている場所が大好きな場所になる、そのように選ぶ。


そんな大好きな空間で、水の綺麗な場所で丁寧に誠実に作られた酵母パンを、近所の珈琲焙煎所で入れてもらった本日のコーヒーを手にしながら、食するのが全身が喜ぶ至福の時間です。


本当に美味しい!


今回は一週間とかじっくりかけて食べたのだけれど、ロブロもカンパーニュも熟成して香りも食感も口腔内で味わい深くなって豊潤。


石臼挽きの小麦や自家栽培のライ麦、釜で焼くパン。色々な思いが集まってつくられたこだわりのパンには、自然がもたらす恵みとその土地や職人さんの手から伝わる雑念のない愛のような空気が含まれていて、その全てが一口のパンの体験にセットになっていて、いつも驚いてしまう。









2025/03/23

今年初のライブ、初めて参戦のライブ、恵比寿へカリガリ。

 


高い建物の間から現れてきた恵比寿の満月は、初めて参戦するバンドのライブの日に完璧な装飾をして迎えてくれた。



カリガリ。
妹から教えてもらったこのバンドの音楽を聴きたくて、ようやくホールでの公演が行きたいタイミングと重なってここに。

音がかっこいいそしておしゃれ。なんかおしゃれ。歌詞は文学的だったりコミカル切ない系だったり、魅力的な石井さんの声と青さん、研次郎さんの音。

また行きたい!
楽しかった♡





感じることに正解はない。


「私」という感覚装置を通して、感じること、感じていることを大切にしたいと小さい頃から思っている。 感じることは、正しさや信念、判断から遠くに位置していて、いつも求めている柔らかな世界にいることから離れない。


感じることに正解はない。

そしてそれを採用する勇気は自然に起きてくる。




2025/03/20

うなずきのまなざし




ほんとはね、 ほんとはね、 
心のなかに聞こえてくる声に 
そうなんだ そうなんだと 
うなづいて。 


その気持ちを 
ああ、こんなふうに感じていたんだね。こんなふうに思っていたんだねって気持ちのいく先にゆだねていく。 


そうすると 

はじめから 、私たちは愛のエネルギー場にいたことに気がついて笑ってしまうかもしれない。


あなたがあなたにうなづくと、 愛の眼差しがあなたから出ていき、愛の眼差しがあなたの声を包み 、愛の眼差しがあなたの「思い」を包み、 溢れ続けている愛というあなたがすでにここにいたことに、びっくりする。 


あなたを応援し、 あなたとの創造に戯れる、 この愛の場。 


身体がゆるんで 深い安心感と圧倒的な優しさに 包まれている 愛のところ。 


それがあなた。  



2025/03/19

私が生きるための箱

 


頭の中にこの体に残して置きたくないイヤでたまらない感情をどうにかしたいと思った時、そこに箱があった。


とりあえず。
とりあえず、別の場所に残しておくための。


イヤでたまらないものも自分の一部だと思うと、やっぱりそれが何かしらの暗いところを好む蟲でも、時々は彼らの暗闇へノックを忘れないようにしたい、彼らからの響き渡る声を聞きたいときがあって、とりあえず残して置こうっていうことになった。






私には箱がある。感情をしまっておく箱。しまって封印してその気持ちを終わりにするために。だれも知らない。私だけのもの。誰かに知ってほしいし、だれにも知られず私だけのものでいてほしい。わたしだけの領域。




みんないっしょに手をつないで生きていこうなんて、身体を忘れただけのエネルギーの約束みたいで、そうならなんで人間が誕生したのかわからなくなる。別の生物でもいいではないか。



それはいいとして。



でも実際感情の色なんてのはなかった。ただそこにあるということを承認するひとがいなければだれにもみえなかった。わたしも、想い起こさない限り。



誰かがこの箱からあたしを出してくれるのを待っている。ここから、出ることができれば、わたしはわたしをやっていけるだろうって、あたしをやめられるだろうって、そう思うから。





それは朝で、彼がごみをだすときに、ゴミ袋のしたにあった箱を見つけた。私にだけにしか見えないのになんで?

あれはごくごく小さな箱にしてしまったもので、私だけの過去、私だけの気持ち。私という一人称の世界のための空間。誰かの目なんかで見つけることはできないと思っていた。あちらこちらにおいていた私の箱。私の世界をだれにもみえないまま広げていったのに、それが今ひとたび見つかって、どんどん私は小さくなっていく。みんなと地球上の人々と一つになってしまう。


アブラカタブラ、とじ込めていた感情たちが外に出ようとしている、気持ちは出たいといっている、わたしのところにいてよ!


キッチンの扉がバタンバタンして、階段の手すりからはヒューヒューと声が鳴る、箱の中の私が私を揺らし始める。

感情の一つ一つが、私を通して色を放ち始める、花火みたいに、シューシュー。それは天井を突き抜け、朝の光が安らかに包む一面へ向かって目指して行く。空の果てにタッチした箱の私は、今度は一気に地上へと振りはじめる。



帰りたいよぉ、ここにいたくない、もういやだ、帰りたい。って叫ぶ。
強く抱きしめてくる男がいた。
僕のためにいてと。
忘れていたあなたのことなんか!
あなたのためにここにいたって、私は変らない、私の人生は変らない。
あなたがいようといなくても関係ない。
好きだっていうのは、その感情はほんとうじゃないの?
好きだけどわからない、わからない
帰りたい、もうわからないもん
帰ったら、ここよりも幸せなの?きみは?
あの箱の色は僕も知っている。
君とまったく同じじゃないけど、知っている。
だから、小さくなって箱の中にいた君を僕は見つけたんだ。




もうこれは泣くしかありませんでした、だって、きっと愛の始まりがやってきていて、そしたら、私は箱のことなんてきっと忘れてしまうに違いないから。












物語はこれでおしまい。









箱の話をしたとき、私は、箱じゃないけど、自分にしかわからない私の世界の経験は、圧縮してしまっておくの、といった友人がいる。過去を浄化、解放してどうのこうのっていう浮世の中で、彼女の言葉が気に入った。それはとっても強くて、人生を理解する意志が込められていたから。














2025/03/18

生きている時間

 



どんな役割を日常で担っていても

あなたという存在は一つしかいない。


それがどれほど

すごいことなのか 



無数に存在し 

消えては現れ

忘れては思い出す

愛の流れ

生命の流れの中で

今のあなたは 今しか存在していない。


そんないとしい 

わたし自身を愛する時間 

生きている時間    





寂しがり屋のりんごちゃん

 


りんごちゃんは一人でいるのが大好きでした。

りんごちゃんは人の中にいるのも大好きでした。


ただりんごちゃんは、ひとりぼっちでした。だれも、彼女の心を覗こうとしませんでしたから。というのも、りんごちゃんは、だれにも心を開けようとしなかったので。


人々は、これ以上は、とか、君のことはわからない、とか美味しくない、とか裏切りだとか

そういうふう形容したので。


りんごちゃんは、大丈夫そうに見えました。強い生命力と意志があるように見えたものですから。


いくつかの収穫の時期を経ていくつかの新しい土を踏み、とうとうりんごちゃんにも天使がやってきました。


「さびしかったんでしょう、ひとりで」


その声はりんごちゃんを真っ赤に真っ赤にしてりんごちゃんは、高い高い木の上から、ホトッと天使の大きな手のひらに、そして包まれました。りんごちゃんは、もうさびしくありませんでした。


ものがたりは、これでおしまいです。


にんげんもさびしくなるときがあります。

そういうときはどうしたらいいでしょう。

高い高い木にのぼってもっとずっと高いところへ行って、天使にでも拾ってもらいましょうか。土の中へ土の温かさの中へ落ちて踏まれて腐って誰かの養分になるのも悪くないですね。

でも、それはほんとに望んでいることでしょうか。


わたしにはわかりません。

わたしにはわかりませんが、ただわたしには、りんごちゃんはだれといてもさびしいときを感じているように思えます。


本当のところはわかりませんが、さびしさは、間の大事な音だとおもいます。


私と貴方の。

貴方と世界の。

貴方と貴方の。


叩いてみませんか、とりあえず、まずはそっと。

「あの、いますか?」

むこうも叩いてくるかもしれません、さびしさの音を。

本当にはわかりません、でもきっと叩いたら、貴方の耳にも音がきこえてくるはず。

「あの、いますよ」って。











2025/03/17

LOVE そのひかり

 

LOVE 


それは、すべての感情すべての思考がそのままで、そのままの自分で、あっていいことを受け入れている世界。 


人間には色々な感情があるし、色々な思考がどこからかやってきては過ぎ去って、またやってきては過ぎ去って繰り返される。嫌な感情や思考の中にいるような時には、ほんとはみんな愛されていて、愛されるのに条件なんてないって思えないかもしれない。LOVEの中にいるということは到底感じられなかもしれない。 


でも、少しだけ、ほんの少しだけでも、その思考もその感情もそのままにして、そのままに消さなくていいから、そのままにして、ここにいよう。 


何もないところに、優しい風があらわれてくる。 

何もないところに、大丈夫だよと囁く声が心に響いてくるよ。 


生まれる前そして生まれた後も、みーんなはじめからLOVEの中にいて、大丈夫な世界を持ってここにいるってことを、だんだん感じられて、ああそうだったかもしれない^_^ なんて。 


オープンに オープンに 開いていこう♡ 

忘れたら何度でも戻って来ればいい。 

それは消えたりしない。

いつだって自分に優しい世界がここにある。



ここ 

それは自分そのもの♡       



2025/03/15

愛という魔術



かみさま

わたしは、「愛」いう魔術を修めたいとここまできました。
「愛」というものが、それがどういうものなのか全くわかりませんでしたから。

書物が表現する言葉や劇場がみせてくれるもので、それらしきものなんだろうとは理解していましたが、それが本当はどういう感情なのか全く感じることができませんでした。

「愛」について、それを信じないとかあるとかないとか、そういう問いかけばかりして探していました。だって「愛」はとても気高くて、太古の昔からたくさんの人がそれを崇め、議論し、実際多くの人間がそのために傷ついてあるいは空虚の暗闇へ自らを送り込んだりして、それは魔術のようにとても強い力だったので、信じるか信じないかに値するものだと思っていたので。




でもここへきてわかったんです、「愛」への憧れと畏れは人間が自分自身へかけた魔術であったことを。そしてそれは解くことができると。




愛は、何にでもありませんでした。そして同時に何にでもなるものでした。愛は、誰にでも、「どうぞご自由に」と差し出す何かでした。どのようにでも表現でき、どのようにでもなり、どのようにでもなる材料でありアイデアであり燃料でした。




愛は、ただ「愛」だったんです。
そしてこれからもそれはそのように在ると。












 

2025/03/14

祖母の100年ー愛への信頼

 


午後7時の御通夜。3人の僧侶の声とともに、後方から聞こえる念仏の合唱が会場に響く。念仏は浄土の雲を呼び止めて、「こちらへ」と迎え入れる。Vシネ系の風貌をした僧は、ハードボイルドな扇子の入れ様で鮮やかな紫とゴールドの仕事着で、真っ白なお花の背景を引き立てていた。


次の日の葬式は11時から始まった。止めることのできない、おばあちゃんへの感情の中にいて、何がどう泣けてくるかもわからずにただひたすら心のまにまに死者と声をつなぐ。念仏の始まりのなかで、亡き人の声を声として確認したわたしの頬は決壊し、念仏の中で祖先とつながる想い、つながる命の全うと肯定を、溢れ止みそうもない頬の滴りの中で密に強くさせた。



魂と肉体はいつ離れるの?そんな魔術と愚問を社会一般に投げて精神を解剖することは、全く意味のない問いだったと気づいてわたしは、人の子ではなく宇宙の子なのだと思いたいんだと悟るときの愚かさを超えたまぶしい明るさで、場内を包む祖母の愛。受け継ぐのは、魂の血統や戸籍の因習的呪縛、思考の盲目的継承ではなく、愛だけだという確信。




亡き人は、自己規律と我がまま、そして無限界の他者への愛で、僧侶も泣かし念仏を超える。命の100年という一日ごとを、重さではなくすべては流れていくという軽さで生きていた愛への信頼。




それは、きっと関東大震災でみた火の海も、空襲で屋根にとんだだれかの生首も、品川から千葉まで食料を買い求めに行った闇市も、疎開のために駅へむかいぎゅうぎゅう詰めの列車の中に幼い母をおぶった彼女だけが入れず、学生服を着た青年が彼女を持ち上げ、列車の窓から入れ5人の子どもたちとばらばらにならずに無事疎開できたけれど、あの青年はそのあと大空襲に会わずに避難出来たのだろうかといつも涙ながらに昔話をする、どうしようもない時代の中で体験し続けたその重さを、時間にゆだねる決意をして堂々と生ききったにんげんの強い意志だったともおもう。





15時の火葬場。着火のボタンを押せなくて何度も躊躇していた伯母さんの手を思い出す。生まれたばかりのいとこのあきちゃんが、きゃっきゃと誰の挨拶にも反応するかわいい声と。午後の火葬場では、とても緩やかに永劫が流れていた。







2025/03/13

自分を知るための時間

 


10年くらい前に書いていた日記を残していることを思い出して、最近読み返していた。それで気がついたことは、感じたことを言葉にするための時間をつくっていたことだった。自分のために自分のことを知るための時間。それがここ数年で海外ドラマに変わり、インスタグラムで美味しいパン屋さんを探したり、他人がつくった日常をのぞいて見たりと、きっとそしてもちろんそれは、自分の何かのためだったりするんだろうけれど、それはそれで楽しかったけど、昨夏のビーズ刺繍熱に心身突き動かされてただただ完成するまで黙々とビーズを重ね続ける新しい動きに夢中になる時間を過ごし、「ああ、これだった、この感覚。」って大事な忘れ物を取り戻せた感じがした。




何かの役に立つわけでもなく、ただ自分のために自分を知るために時間を存在させる。自分が感じたことをぴったりの言葉で表現できた時の喜びは、自分という生命が日常の背景になってしまいそうな分離感から救済するわたしにとっては大切な鍵なんだって今更ながら、そうかそうかってわかって嬉しかった。


自分のための言葉を、自分のために見つけ続けたい。


誰かはそこにいない。けれど、全てはつながっているこの生命の物語の断片で、同じように自分を大切にしている誰かとつながって、言葉は、その内部で新たな鼓動を始め、この生命の物語の空できらめく星になるんだ。






2025/03/10

仔豚の花摘み|はじめてできた友達のこと

 



4歳まで祖母の手で育てられた、そう言ってもいいと思う。仕事を終えた母が私を迎えに来るまでの子どもの一日の時間祖母の家は市内から車で10分ほどいったところ。回りは田んぼで何処までも見渡せる山の頂へも、きっとここから近いんだろうと確認できるくらい、景色は広く遠かった。



田んぼの土手に咲くシロツメクサやお庭の小さなお花たち、近所の豚の飼育場の新ちゃんのところでヒヒヒと鳴く仔豚をわたしはたくさん、たくさんの時間じっと見ていた。

どこにでも根をはっていて、「あなたは、どこから来たの?」って聞きたいんだけど、やっぱりそんなのは無意味な質問だよね、なんて。とうに人間の限界的な質問を超えた世界で咲き出している小さな花は、いつでも花として堂々と地球で生きている。


ヒヒヒと泣く豚の皆さまには、「あの、わたくしはほんのにんげんの子どもであなたのお友達をいただいていまして」と、自己紹介して勝手に承認して勝手に知り合いになったり。




                      


5歳の時初めて保育園という子どもだらけの場所に行った。

入園最初の日、花と仔豚がお友達だった世界に初めて人間の子どもが、しかもむこうからお友達と名乗ってくれたとき、「はじめからそうだった、わたしたちはお互いをずっと前から知っていたって。」こころの中の不思議な感覚。



未来のある日に彼女が逝ってしまうことを5歳のわたしは知らないけれど、人見知りだったわたしをずっと守ってくれていた彼女は、にんげんではなく天使だったと思う。



「だいじょうぶだよ、わたしがいるからね」って最初の初めての挨拶もないままそんなことを言うから、由佳ちゃんは本当は子どもではなくてやっぱり天使だったし、泣いていたわたしに、ここにいたのねって目でいうから、まじめに、わたしにいうから、やさしくて、おどろいて、もっとわたしは泣いた。


















2025/03/01

仔豚の花摘み|砂漠の民を踊る保育園児の自分




小学校に入る前の2年間、わたしと由佳ちゃんは4回の誕生日会をし、年に数回泊まりあって遊んだ。押入れごっこが好きで、押入れの上下を部屋にして小さな主人になったわたしたちは、新しいご近所付き合いをやったり、押入れという暗闇になるその中にきっとあってほしいトンネルや人間以外の者たちの気配を期待して楽しかった。


由佳ちゃんのお母さんは、ゴウヒロミの大ファンで、いつも由佳ちゃんちの車にはゴウヒロミがいた。


保育園の年長組みになると秋にはお楽しみ会が行われて、わたしたちは「砂漠の民」を踊った。緑のサテン地のパンタロンとピンクのサテン地のパンタロンにターバンを頭に巻いたわたしと由佳ちゃん。


踊ったときの気持ちはもう忘れたけれど、アルバムで待っている写真はほんとうに一緒に踊ったんだっていう事実を、いつまでも忘れさせない。




会いたいな、もうどこかで何かに生まれ変わっているのかな。


















2025/01/06

未来可能♡域



自分が、よく通っている場所、思いを込めている場所がある時つながる。ばらばらに思えた見えた幾つもの経験や感情や人の流れが、ある日、ある場所で、つながる。名前は変わっても最終目的地は変わらない。


行き着きたい場所へ行ける。

それは徒歩でも、タクシーでも、電車でも、飛行機でも。

そして、時が来ると。