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2024/12/23

現実世界の営みを支える別次元の力




社会的な活動は動けば動くほど、たいていは広がりを見せて、意思の使い方に面白さを見出したり、広がってく人間関係で交わされる感情、言葉の中に見え隠れする本音に遊んで、波乗りが上手になったと感心したりする。



ここ10年はそんな感じで、物質的世界を生きる(人間としては当たり前すぎて、おかしい表現かもしれないけど)ことに集中して経験を積み重ねてきた。今思うのは、この物質世界の波乗りを、波乗りとして認識する自分の感覚があったからやってこれたかなと思う。それがなかったら?そんなことは、それがない自分はそういう疑問さえ思いつかないから分からないけれど、「波乗り」としての日常を感じる自分で生きている自分はやっぱり、意識世界から見た世界観を使うことが好きなんだなぁと思う。




現実世界で見えること、経験すること、人々の動き、社会の動きが、どこか過去のように、すでに経験されたことの上映のように感じている。それは小さい時からそうなんだけど、だからと言って、観客席にいるわけではなく、自分が実際に体験するときには感情が動いて人間ぽい行動をしていて面白い。体験している最中もどこか観客席にいる意識があって、その意識が強く働いているから、何が起きても大丈夫だという思いが湧いてくる。


意識は見えない。現実世界の日常をいつも応援してくれている。それは意思の力ともいうかもしれないけれど、自我だけで動いているわけではない何か、地球のマジョリティは自我のみを自分として創造された世界観だけど、自我を支える見えない力を自分の中に感じはじめた時、自我の思いと共に波が波をつくり、風が風をつくり、道が道をつくる波乗りになる。自我以外のエネルギーを感じながら進んでいく人生は、「私」の認識を拡大させて、ここに生きている理由も変わっていくかも。










2024/12/10

now is all .

 



イマジネーションはどこまでも行ける。

身体は今を十全に生きている。

痛みも

安心も

嬉しさも

不安も

同時に存在して豊かにこの今を構成している。


想像の豊かな世界も

今の豊かな世界も

今に存在して

生の動きに共鳴している。










2024/12/09

やっと行けた♡ライブ!名古屋ぁ

 


もともと感覚が過敏な私なのですが、今年は耳の調子が不安定で「ライブに行きたいけど、耳のストレスになったら嫌だな。それに気にして、全力で楽しめないし。」という気持ちで買ったチケットも使えず、今年最後のツアーもチケットを買うのをやめていました。聴覚には問題なくて、クリニックでは、行っても大丈夫ですよーとは言われてたけど、なんせ敏感だから自分の感覚が、ゴーサインできなかった。




それで11月に入って。
遡って2023年の10月は、リンキンパークが気になってYOUTUBEで聴いていて、最近どうなのかな?とのインスタを見たときに、おおお、新ボーカル!新スタート!やっぱり音楽はいい!そんなかっこいいエネルギー感じたら、私も、やっぱり行きたい!名古屋に行きたい!って、気持ちが高まった。横浜でも羽田でもよかったんだけど、近いし、でも、なんか名古屋ーって感じて、行くことにしました!!!!






久しぶり!
名古屋!

わぁ〜会いたかったヨォ。


Zepp NAGOYAは、初めてライブハウスに行ったところ。
DIR の名古屋はなんかいろいろと思い出がある。
途中で怒ってステージさるとか、ボーカルが。そのままこっちが頑張って歌って、待つみたいな😆あの時は面白かった。一部のオーディエンスがゆるくかったるい感じだと、「おいそこ!」って怒ったり、そしてステージさって。まぁよくあります。こっちも本気で参戦してるから、「こっちだって本気でやっているんだ、てめぇ戻ってこい!」みたいに心の中でなんだか勢いヤンキーになったりして、面白い。このバンド最高だっていつも感じる。



普段のライブでは、ライブ用の耳栓を使っているけれど、今回は片方は本気の耳栓にして、もう一方はライブ用にして挑みました。もちろん音はこもるし、曲によっては、ボァーンとしてアレだったけど、すごく楽しかった!!思い切りできた!悔いはないぞ♡




そんな最高のライブでした。






できた!
不安超えたー

嬉しいー








やっと今年1月以来のいもうとと行けたぁ。

今を今のこの時を生きる!

今に全てがある。

んだ!





















2024/12/01

シャタバリのママの喝!

          


アーユルヴェーダではよく知られているハーブ、シャタバリ。女性の生殖器菅への強壮という情報を得て試してみることにした。


ひとくち、口にすると

すとーん!と子宮へ向かってまっしぐら!

「はい、ここね!」となんか調整し、さっさと終えてこう言った。


「あのね! 女はね! 大地なのよ!」
「大丈夫だから、どーんといくのよ!」
「ほら!」

って背中を押される。

「あんたら大丈夫だから、好きに生きな!」

って軽そうに重みのある言葉をやっぱりライトに言い放ってさって行った。


大地から離れがちな人類に元気を届ける大いなる大地の母、に太い三つ編みでガンガン指示を出すラピュタのドーラのような存在、シャタバリ。














2024/11/26

愛おしい時間。




心の中で会話をする。

太陽や月と。

色や花と。

小さな形と。

そんな時間が好き。









 

2024/08/29

ビーズ刺繍熱と暑い暑い夏

 



ビーズ刺繍にはまっています♡
とにかく手が空いている時には刺繍をしています。なんか面白い。なんかいい。
この感覚!久しぶり!


何かのために何かをするっていうんじゃなくて、ただ面白そうだから、なんとなくしてみたい、それが楽しい!!




先日代官山蔦屋でインスタで見ていたビーズ刺繍作家さんのワークショップがあって、時間内に仕上げるのがとっても大変だったけど頑張りました♡やりきった!




一粒一粒空間を埋めていくのが楽しい。
リュネビル刺繍という技法も5月と8月の前半に習いに行って、その技法でビーズ刺繍をしようと思って道具を揃えたのだけれど、この時間がかかる一粒一粒の作業に心が動くみたい。お盆前に伊勢丹で手仕事の展示会があって、その時に知ったお店が浜田山にあるんだけどそこにも今度行く予定♡
























2024/08/20

CLAMP展 20面相にお願い!!

 


中学生の時に、友達から借りた漫画の中にあった、その後の私のお守りになっているフレーズ、大人になってもずっと心に残っていて、いつか漫画のタイトルを思い出したい!と願って2024年。



画は覚えていて、キャラクターもかすかに記憶に残っている。でも、あれかな?これかな?ってわからなかった。



それが、漫画好きの妹がCLAMP展にいくとの情報で、なんだか胸騒ぎ聞いたことがある名前。もしかしたらこれかも?


とフレーズとCLAMPと検索したら、なんと!引っかかった!!



ずっと探していたものがついに!








行ってきました!

ありました!



CLAMPさんの作品はとてもたくさんあるんだけれど、私は一つしか知らないから、そのコーナーにじっくり時間をかけて見ることができた。









原画をじっくりと見ることができました。
























ひたすら記録します。



















あぁああこの世界好き!












もう一度♡
















これですこれです!

20面相におねがい!!



「まず何よりも 

自分のことが大好きでなくちゃ」



















2024/08/04

太陽の訪問と花たちとの会話

 




フラワーアレンジメントを習い始めてからだと思う、小さい頃に母が育てていたお花と遊んでいた気持ちを思い出したのは。


大きくなってから子供の時に感じた思いを再確認する時間は、自分の忘れてた本質とつながったようで、すごく嬉しかったのを覚えている。


その嬉しさは、いつも変わらない。


花が存在していることと自分がここにいることの喜びが重なる。






永遠にやってこない答え

 


愛とは何かとか

しあわせとは何かとか

ほんとうの〇〇は何かとか

自分とはなんなのか




人間的な問いに納得した答えを見出すことなんて永遠にないんじゃないかと思う。





答えはいくらでもあって。




いつでも変化しているものだから、つかめないその解答を探し求め、決める力を培うよりも、このいまに生きていることの驚きにいたいと思う。










2024/07/21

愛していることをする。



愛していることをする時って、身体が高揚して、心が熱くなる。

その気持ちを抱きしめたくて、

その気持ちを形にしたくて、

作品をつくる。

愛していることを愛せる喜びを感じたくて。

繰り返し繰り返し愛が循環する。




 

2024/05/17

思考として生きている「わたし」の終わり




条件がついていない愛。

それは私たち自身の中から湧き出てくる感覚があるために、私たち自身であると感じる感覚が起きる。


けれど、そのぬくもりや圧倒的幸福感と安心感をもたらすその愛は、分析したり、判断したり、比較したり、こうあるべき、これが当たり前などと社会通念を生きている「わたし」のことではない。


この時、貴方は思考として生きている。


面白いのは、この「私」という思考とは別に、気づきの意識が存在している。気づきの意識は、思考として生きている貴方と、圧倒的な条件のない愛のエネルギー場の橋渡しをしている。


圧倒的な幸福感と安心感の場は、静寂の場。


外に向かって何かをしなくてはいけないような感覚が何もない意識の場。


起きてくることは雲のように流れていき、気にとめる必要性が起きてこない。


思考の習慣的言動が発動しなくなる。


貴方は貴方を取り戻して、生命からの貴方を生きることができる。


WELCOME!



2024/02/01

chemin 全てにはいつか終わりが来る。

 


大好きな大好きなパン屋さんが、ご家庭の事情で閉店することになった。

いつも感動して食べていたパン。

こんなに心身が喜んだパンは生まれて初めてだったから寂しくなる。





閉店する期日が迫ってきた1ヶ月間は、いつにもまして並ぶお客さんでいっぱいだった。
みんなが愛するパン屋さん。





名残惜しくて写真におさめてもおさめても。
終わりが来る寂しさでいっぱい。

もっとお話ししたかったな。

もっと食べていたいな。





終わりが来ることがないかのように、ごく自然に日常に、毎日に溶け込んでいたこのパンがある日常。

溶け込んで永遠に続くように思っていた。





ありがとうパンさん。







ありがとうございました!

本当にまた食べたいです!

やっぱり食べたいです!

でもゆっくりなさってください。

次の人生の道のりを応援しております。

美味しいパンを生み出してくださり、本当にありがとうございました。












2024/01/23

音楽を感じる喜び

 




今年も大好きな妹と大好きなライブに参戦してきました。
2023年は、ビョークや女王蜂、凛として時雨と初めてライブで楽しみました❤︎
そして、われらのDIR EN GRAY 
ほぼ止まらない運動をしに行っている感じで全身で音楽を感じて、エネルギーを放出して終わった後の爽快感がたまらない。

特定の誰かが好きっていうより、音楽が好き。彼らが創造する音の並び、展開、詩、会場の雰囲気どれも好き。音と流れて、音と戯れて、そして会場の一体感。ホールの時にいつも思うのは、ステージと観客席を見ながら、「宇宙一のバンドだなぁ、そう思える音楽に出会えて幸せ♡それに楽しんでいる自分を感じるもが何よりも幸せ」そんなふうに。



女王蜂♡








始まる前からもう楽しい!




髪の色が完璧だったらしい後ろ画










そして2024年




年始の中華そば。麺が美味しい。
一年に一度食する素敵な時間。





実家の新年の迎え鬼♡





























2024/01/17

その時「わたし」は存在しない。




私は土であり、私は空であり、私は光であり、私は影であり、私は神であり、私は愚者である。

そのようである時、私は存在しない。


私という謎。

私というドラマ。

私という特別な存在。

私という存在しない特別な幻想への、特別な負荷をかけた価値。


私という存在は、なんにでもどこにでも在り、そしてあたたかな感触を持つ。






2024/01/09

内的世界と外的世界の間で。Between you and you

 


子どもの頃から、不視覚的世界に心ひかれ、それを言葉や絵で知覚化することに興味がありました。心や、感覚、存在、意識、時間、etc... その仕組みや概念について考えたり感じたりすることが大好きでした。


目に見えない世界に気持ちを向けている時、心がグーンと広がって、柔らかく温かなエナジーが自分を包んでいる感覚になり、安心します。そのことに関わって過ごす時間は何よりも楽しいことで、心身が満たされる、自分にとってとても特別な大切なものです。



わたしが大好きなその世界では、正解がなく、時間軸は流動的で”エネルギー” ”意識”などと表現される何かが現実の土台をつくっていると理解され成立しているところでもあります。



こうしたメタフィジカルな世界観を通して、つながった方々へセッションやクラスができることがとてもうれしいです。私個人だけではなく、エネルギー的な仲間と行うワークは、自分の知覚が解き放たれて広がり、心身が深くリラックスし、自分自身と深い深い調和で満たされます。理解を必要としない圧倒的な脱力と幸福感が心身にやってくる。



開かれた知覚によって、星や花や樹木とのコミニュケーションに無邪気になり、心の中の静寂の声が人生を励まし、いつも導いていることに信頼が生まれると、未来がどうなっていくか、自由意思はあるのか、運命は決まっているのかといった質問がすでに人生の経験に制限をつくっていることに気がつき肩の荷がおりる瞬間がおとずれる。「好きなこと」「楽しいと感じること」に単純に純粋になり、楽観が背中を押して人生の歩みに快活なエネルギーをもたらしれくれる。




けれども、一方で、知覚力が高まり意識が目覚めていくと、さまざまな気づきが起きてきて、過去と新しくなる自分との間に混乱が生じる時期がある。内なる声が、エゴなのか、自分を解放する真の声なのかを見極める必要があったり、本音が分かっていても無意識的習慣から抜け出せなかったり、自分に許可を出せないでいたり、加速する知覚力を止まらせようとする抵抗が働き葛藤がおきて、後退しているように、見えない世界など知らないでいた方がよかったかのように、そんな世界はまやかしだと正しい認識をするのは私だ!とマインドが主導権を返還しようと必死になっているの頭の声を聞くかもしれない。その声を「私」と思い込むとますます苦しくなる。


けれど。


それは仕方がない。これまで比較検討して論理的に判断することが正しい、根拠があることが正しいとされる目に見える世界の認識、価値基準に生きていたところとは、全く違うところに意識が開いていくのだから。



そのような時は、目に見えるものと目に見えないものが交差している身体に意識を向けて。その考え、場所、行動、日常生活の動きの中で、身体が安心し、リラックスするかどうか、感じることを優先する。いまここに存在する自分の身体感覚から離れず、意識を頭から身体へと戻って、感じることを意識する。私たちは物理的次元と連動して存在している。現実世界をないがしろにした高次元とのつながりは、単に言葉通りの夢幻に過ぎない程度の関係性にとどまる。





内的世界に心を開きはじめると、自分をずっと守り導いている何かが在ることに意識的になっていく。ハイヤーセルフとか守護存在とか無とか愛とか潜在意識とか、いろいろな名前で表現される”それ”が自分の人生の旅を共にしている、というかそれも自分の一部であり、「自分」という定義にも変化が起こされてきて、いよいよ既存の「人間とは」を突き抜けていく。


世界は、エネルギーの表現形態であり、目に見える表現と目に見えない表現がある。人間も同様、目に見える形としての物質的表現と思考や感覚、波動など目に見えない表現の両方を持ち合わせて存在している。いまのところ、人間は必ず肉体の死を迎えてその表現を終える。この短い地球滞在の間、この生命の性質が十分に発揮され、心身が満たされる時間を過ごせるように、それぞれの身体のちから、生命のちからを持って生まれてきている。