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2024/01/09

内的世界と外的世界の間で。Between you and you

 




子どもの頃から、不視覚的世界に心ひかれ、それを言葉や絵で知覚化することに興味がありました。心や、感覚、存在、意識、時間、etc... その仕組みや概念について考えたり感じたりすることが大好きでした。


目に見えない世界に気持ちを向けている時、心がグーンと広がって、柔らかく温かなエナジーが自分を包んでいる感覚になり、安心します。そのことに関わって過ごす時間は何よりも楽しいことで、心身が満たされる、自分にとってとても特別な大切なものです。



わたしが大好きなその世界では、正解がなく、時間軸は流動的で”エネルギー” ”意識”などと表現される何かが現実の土台をつくっていると理解され成立しているところでもあります。



こうしたメタフィジカルな世界観を通して、つながった方々へセッションやクラスができることがとてもうれしいです。私個人だけではなく、エネルギー的な仲間と行うワークは、自分の知覚が解き放たれて広がり、心身が深くリラックスし、自分自身と深い深い調和で満たされます。理解を必要としない圧倒的な脱力と幸福感が心身にやってくる。



開かれた知覚によって、星や花や樹木とのコミニュケーションに無邪気になり、心の中の静寂の声が人生を励まし、いつも導いていることに信頼が生まれると、未来がどうなっていくか、自由意思はあるのか、運命は決まっているのかといった質問がすでに人生の経験に制限をつくっていることに気がつき肩の荷がおりる瞬間がおとずれる。「好きなこと」「楽しいと感じること」に単純に純粋になり、楽観が背中を押して人生の歩みに快活なエネルギーをもたらしれくれる。



けれども、一方で、知覚力が高まり意識が目覚めていくと、さまざまな気づきが起きてきて、過去と新しくなる自分との間に混乱が生じる時期がある。内なる声が、エゴなのか、自分を解放する真の声なのかを見極める必要があったり、本音が分かっていても無意識的習慣から抜け出せなかったり、自分に許可を出せないでいたり、加速する知覚力を止まらせようとする抵抗が働き葛藤がおきて、後退しているように、見えない世界など知らないでいた方がよかったかのように、そんな世界はまやかしだと正しい認識をするのは私だ!とマインドが主導権を返還しようと必死になっているの頭の声を聞くかもしれない。その声を「私」と思い込むとますます苦しくなる。


けれど。


それは仕方がない。これまで比較検討して論理的に判断することが正しい、根拠があることが正しいとされる目に見える世界の認識、価値基準に生きていたところとは、全く違うところに意識が開いていくのだから。



そのような時は、目に見えるものと目に見えないものが交差している身体に意識を向けて。その考え、場所、行動、日常生活の動きの中で、身体が安心し、リラックスするかどうか、感じることを優先する。いまここに存在する自分の身体感覚から離れず、意識を頭から身体へと戻って、感じることを意識する。私たちは物理的次元と連動して存在している。現実世界をないがしろにした高次元とのつながりは、単に言葉通りの夢幻に過ぎない程度の関係性にとどまる。



⭐︎


内的世界に心を開きはじめると、自分をずっと守り導いている何かが在ることに意識的になっていく。ハイヤーセルフとか守護存在とか無とか愛とか潜在意識とか、いろいろな名前で表現される”それ”が自分の人生の旅を共にしている、というかそれも自分の一部であり、「自分」という定義にも変化が起こされてきて、いよいよ既存の「人間とは」を突き抜けていく。


世界は、エネルギーの表現形態であり、目に見える表現と目に見えない表現がある。人間も同様、目に見える形としての物質的表現と思考や感覚、波動など目に見えない表現の両方を持ち合わせて存在している。いまのところ、人間は必ず肉体の死を迎えてその表現を終える。この短い地球滞在の間、この生命の性質が十分に発揮され、心身が満たされる時間を過ごせるように、それぞれの身体のちから、生命のちからを持って生まれてきている。