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2012/11/30

アッシジのタクシー

 



哲学科に所属していた頃、中世哲学と宗教を学んでいた。2年前にイタリアという言葉が、心心にやってきて、これはイタリアに行かなくちゃと衝動で、約10日間フィレンツェを拠点にラヴェンナ、アッシジ、ナポリと足を運んだ。その頃はまだもう一度大学に戻って学びたいなんていう気持ちは明確にはなかった。

わたしはいつも何かを探求することが大好きで、大学が好きで、勉強が好き。2年後にアッシジの聖フランチェスコの生涯を扱う卒論を書くなんて、この流れ、つながっている神秘に驚く。

アッシジのタクシーの人が、自分がここに住んでいることの喜びと感謝、そして聖フランチェスコへの愛や信仰心がごく普通に日常の中にとけこんでいて、信仰心という言葉の硬くて重い感覚が、タクシーの彼の言葉の音とともに消えていくのを感じた。









クリスマス前の冬のイタリアは静か。




あたたかな色。




ピンク色の町の壁。















気持が動くままに進んでく。



新年のフラワーアレンジメント。
今年のわたしのエネルギーの表現!




 



ガラスでつくった花瓶。
美しく整えて制作するのにはスキルがもっと必要だと思う。

こう書いていて思った、
何が美しいか
何が「いい」のか

もしそれが自分でどこかで
基準を作っていて
その基準で決めていたとしたら??

つくりだしたものの価値って
やっぱり自分で決めてしまっているって今気がついた。

















2012/11/01

心の中のひかる石

 




心の中の光る石。

自分の胸の真ん中に光る石があって、その石があることを知っていれば、帰る場所がわかる、人生を生きる際には、そこからやってくる気持ちに従っていけばいいということを伝えてくれる。

何があっても大丈夫、何があってもその石のところに気持ちが帰ればばなんとかなる、という安心の場所。


それが何よりもわたしには大切、それを忘れなければ大丈夫。そんな永遠に心で光っている石。


その石の存在が、名前のないエネルギーを思い出させる。名前のないエネルギー、あらゆる存在をつくりだすすべて、中心でもなく源でもなく、ただどこにでもあって、すでにあるそのエネルギー、とてつもない圧倒の安心の感覚をもたらすエネルギー。泉のように、そしてそれは永遠にきらめいて流れている生命の光彩。